くまもとアートポリスバイスコミッショナー   伊東 豊雄 氏



 「斬新的な意匠で使う者に感動を与える」。伊東氏の作品は、個性的なデザインもさることながら、建築を実際に使う人の身になって創り出すという"やさしさ"があるのが特徴の一つ。くまもとアートポリス2004では、バイスコミッショナーを務め、先頃「八代市の中心市街地活性化策を模索したデザインコンペ」、「建築学生による小学校建替計画の設計競技」−の審査員として手腕を発揮。次世代を担う建築家の卵たちに建築の本質について考える場を提供した。
 伊東氏が考える建築への思いは・・・。本紙のインタビューに応えて頂いた。

 −(建築フォーラム2004を終えて)今回のフォーラムで印象深かったのは
 設計コンペを学生が主体でやったということに対し非常に興味をそそられた。しかも単独の大学じゃなくて4つの熊本の大学が議論をしあいながら集まってやったことが非常に意義深かったと思う。
 −デザインコンペ、設計競技と審査の難しさがあったと思うが、今回も含めてコンペで苦労する点
 実現するコンペティションと今回のようなアイディアだけ競うものとで、自ずから性格は違う物だ。実現する物の場合には、実現のしやすさ、というものも評価の基準にしている。一方で夢を盛り込みたいということのバランスも考慮しなければならない。それのどこに落としどころを付けるか、そこがいつも非常に苦労している。たくさんの人の考えや思いが作品に表現されているので。
 −今回の公開コンペで重視した点は
 特に夢を高く評価した。学生の時には、思いっきりやることが大事だ。こういうチャンスはなかなかない。実務の社会に入ったとたんに「そんな夢みたいな考えでは」とその日から言われる。いまのうちに思いっきり大きな理想の世界を描いとく方が良いのじゃないかなと思い、あえてそういう案を採用した。
 −現代建築に何か足りないものあると危惧されていると
 建築家が造る建築というのは、いわゆる近代建築の理論に基づいて実現されるんだが、その中に建築の楽しさだとか、住む人の論理というのが、かなり切り落とされている。建築をいかに安く、早く造るとういう事のために切り捨てられている部分がたくさんある。八代市のデザインコンペでは学生の提案に、意外に切り落とされた物が入っていて、とても楽しい印象をうけた。
 −建築家の基本的なものが忘れ去られているのか
 初心に返ることが重要だ。使う人の身になって意匠するという切り捨てられた部分を大切にする事が、建築家にとって初心に返ることだと思う。造る人である以前に、使う人間でもあるんだという。
 −建築を目指す若い建築家の卵たちにひとこと
 先ほどの繰り返しになるが如何に自分が実際に建物を利用する人間であるかということを考えて意匠をしてほしい。1年でも建築学科で勉強するとどうしても建築家的視点というものに変わってしまいがち。なかなかそれが判らない。いわゆる一般市民として社会をどうきちんと捉えているか、そういう視野を建築に置き直していくかということに建築の最大の意義があると思う。そこをしっかりと見つめて欲しいと思う。
 −あまり芸術性を追求しないということか。
 建築は芸術ではないと思っている。社会の産物だ。
2004.11.15掲載

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