15年度日本建築士会連合会会長表彰を受けた
          恵建設(株)代表取締役 古荘 恵一氏


 「支部長を15年間という長期にわたって務めたからでしょうか。大変、光栄です」。熊本東支部から2人目の受賞となり喜びもひとしおの様子。

 中学卒業後の昭和25五年、家業の農業とは畑違いの建設業に足を踏み入れた。終戦直後の焼野原を見て「住宅が足りない。自分もなんとか復興に貢献できないものか」。そんな想いから大工に弟子入りした。

 しかし現実は、厳しい修行の毎日が待っていた。1日24時間、一言もしゃべらず、涙を人知れず流す日が続く。"人間とにかく1年すれば、役に立つようになる"との思いから努力を重ね、結局修行は4年間にも及んだ。「最初の1年は自分の歴史に残る1年、涙の365日だった」。

 その後、職人としての経験を積み、昭和45年に大津町で恵建設鰍設立した。高度成長期で、人さえいれば仕事には困らなかった時代。「中学卒が金の卵と言われていた頃で、大工さんを確保するのに苦労した。今ではとても考えられませんが」と当時を懐かしむ。以後、町営住宅や勤労者住宅など300百戸あまりの住宅建設を手掛けた。

 最近では、新築住宅需要が減少、住宅メーカーの攻勢もあって厳しい時代が続く。「平均点ではダメ。他社とは違う抜きんでているものが何か無いとこの先は乗り切れない」と分析する。「建築士会ではCPD(継続能力開発)をはじめた。資格を取ったから勉強しなくてもいいのではなく、常に自己研鑽することが大切」。

 熊本県内の建築士会員は約2000人。若い人の入会が年々少なくなっており、CPD制度も含め魅力ある士会づくりを気にかける。また、社会貢献の必要性も説く。自身、被災建築物応急危険度判定士の県内認定第一号。建築士会が中心となって進め、現在は1000人体制になった。「住宅の被災はどこでも考えられること。まさかに備えておく必要がある」。

 中国の歴史、特に三国志に興味を抱く。惹きつけられるのは"人間としての生き方"。お金でもなく権力でもなく、最終的に歴史に残るのは心だという。悔しい時や気持ちが滅入った時には、歴史上の人物を思い出して自分自身を慰める。

 昭和9年生まれの69歳。妻、長男との3人暮らし。老け込まないようにと年齢を意識しない生き方を心がけ、生涯現役を貫く。2人の孫には今でもおおぱぱと言わせるそうだ。    
2003.10.27掲載

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